わかめミニ百科

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わかめは茶色?緑色?

皆さんが食べているわかめ(乾燥のカットわかめや塩蔵の生わかめ)はきっと鮮やかな緑色をしていることと思いますが、わかめは海に生息しているときは褐色(茶色)をしている褐藻類という海藻なのです。それが収穫されてすぐ湯通しをされると一瞬にして鮮緑色に変化します。これはわかめの持つ色素のクロロフィルaの色が出てきたためです。わかめはクロロフィルa(緑色)とクロロフィルc(青緑色)という2種類のクロロフィルを持っています。その他にフコキサンチンなどの色素を持ち、それらが酵素によって結合していると言われ、湯通しすることにより、酵素(タンパク質)が変性して酵素としての働きがなくなり、クロロフィルaと他の色素が離れ離れになります。それによってクロロフィルa本来の緑色が出てくるのです。

生存競争は大変!

わかめは2月頃から5月頃まで日本各地の岩場や養殖筏で見られます。わかめは初夏に成熟した芽株(わかめの根に近い部分にある、あのヌルヌルした納豆みたいなヤツ)から胞子が放出されます。1個の芽株から約100億個の胞子が出ると言われています(私が数えた訳ではありませんが)。胞子(遊走子といいます)は2本のヒゲを持ち、クルクル動き回りながら、落ち着き先を探します。100億個のうち1億個が落ち着き先に着生します(残りの99億個はおそらく他の生物のエサになるのでしょう)。1億個のうち、2個が♂と♀に分かれ、次の世代を担う種となっていきます。どこの生物でも生存競争は大変ですね。

えっ、ルーツは日本?

わかめの故郷はどこか。昔から食べているのは日本と韓国(北朝鮮も含めて)ですが、中国沿岸などには1940年ころまでわかめがなかった事実から察すると、故郷は日本である可能性が強いのです。では日本のどこか。現在天然のわかめは日本では北は北海道(太平洋側は室蘭まで、日本海側は礼文島まで)、南は鹿児島(薩摩半島の山川町が南限)まで生育しています。地方品種としてワカメ(Undaria pinnatifida f. typica)とナンブワカメ(Undaria pinnatifida f. distans)、ナルトワカメ(Undaria pinnatifida f. narutensis:ほぼ絶滅)がありますが、もともと温帯性の海藻であること、日本海、瀬戸内海が大昔は湖であったことなどから推測すると、神奈川から伊豆半島辺りが、わかめの故郷ではないかと考えられます。実際に伊豆半島辺りでは通常私達が食べているわかめとは全く違った形のわかめが生育しています。

「もうそう」の話し

わかめには葉の表面に「もうそう」と呼ばれる、半透明の毛髪のような組織が出来ます。名前については「毛巣」とか「毛叢」とか「毛藻」などと書かれており、どれが正しい表記かまだ定まっていない謎の物質です。その主成分は何なのか、何の目的があって、生えているのか、どんな状況だと伸び易いのかほとんど分かっていない、ミステリー器官です。水温との関係がよく取り沙汰されるのですが、人間のアイヌ人と沖縄の人が共に毛深いように、非常に寒いところでも多いし、暑いところのワカメにも多いのです。最近、「もうそう」を何かの海藻が着生したものと思われ、気持ち悪くて食べられないというクレームがきました。でも「もうそう」はワカメに必須のもの(「もうそう」がなければワカメではない)で、食べると病気になるというのは「妄想」ですので、「もうそう」があっても安心して召し上がりください。

わかめの水耕栽培

最近の野菜は工場の中で水耕栽培される野菜工場製造品も出来るようになりました。ではワカメも!と思われがち。でも残念ながらワカメの水耕栽培は難しいのが現状です。といのは、ワカメは陸上植物のように根っこから水や栄養分を吸収し、葉全体へ回しているのではなく、葉の表面から直接、水(酸素)や栄養分(硝酸態窒素など)を取りこんでいます。またワカメは乾燥に非常に弱いので、葉が乾燥してしまうと枯れてしまいます。ワカメの根っこは物に付着する機能のみで栄養分などを吸収する機能はありません(それで仮根:カコンと呼ばれています)。ただ、海外ではコンブを用いて、海水のミストルームで栽培の研究を行ない、2m以上のコンブを室内で栽培した事例がありますので、「海水中」だけでなくとも、ワカメ栽培工場が、将来出来るかもしれませんね。

わかめの仲間

  • ワカメ

  • アオワカメ

  • あいの子

ワカメはご存知の方も多いと思いますが、海で育っているときは茶色(褐色)の葉をしている褐藻類の仲間です。褐藻類にもたくさんの種類がありますが、わかめはその中の(コンブの仲間)-その中の(チガイソあるいはアイヌワカメの仲間)-その中の(わかめの仲間)の1種です。

ここで(わかめの仲間)はワカメ属といい、日本には(といってもワカメ属は日本にしか現在ありませんが)3種存在します。ワカメ(学名:Undaria pinnatifida)のほかにアオワカメ(Undaria peterseniana)とヒロメ(Undaria undaroides)です。色はわかめと同じく褐色なのですが、形はかなり違います(ワカメとアオワカメの写真を載せました)。ワカメは真中に茎があって、ギザギザが激しい形をしています。アオワカメはコンブのような形で真中に茎はありません。また非常に薄いペラペラの海藻です。ヒロメは茎はあるのですが、まんまるのうちわのような形をしています。特に大きな違いはワカメ特有のおいしい「めかぶ」を他の2種は作らないという事です。

アオワカメは主として九州周辺で、ヒロメは瀬戸内海や紀伊半島周辺に見られますが、あまり食用にはされておりません。

面白いことにこれら3種はハイブリッド(混血児)を作ることができます。自然界では成熟時期が異なるので、混血はほとんど見られませんが、実験室ではたとえばワカメの♂の胞子とアオワカメの♀の胞子を合わせて、成熟させると簡単に受精し、葉っぱとなります。混血を海で養殖したものの写真を載せております。やはり形からしても「あいの子」でコンブのような形のへりにワカメのギザギザの名残りを少し残しています。また真中の茎も細く途中で消えています。残念ながら厚さも「あいの子」でワカメに比べるとかなり薄く、まだ実用化されていません。でもこれから品種改良を重ねるとコンブのようなワカメができるかもしれませんね。

わかめ養殖の歴史(1)

わかめは日本古来の食べ物ですがその養殖が始まったのはかなり新しく、1938年頃と考えられます。

記録に残っている最初の養殖試験地は日本ではなく、なんと中国でした。

1932年に日本軍が関わって、満州国が成立し、大連に関東州水産試験場ができました。

そこの技師となって赴いた、宮城県出身の大槻洋四郎氏が満州国の殖産興業の一環として海藻の養殖を企画し、日本からわかめと昆布の種苗(おそらく芽株と成熟昆布でしょう)を持って行き、簡単な養殖テストを行なったものと思われます。大槻氏はその養殖方法で特許を取りました。

終戦となりましたが、大槻氏は中国の海藻研究者などの請われて、1948年ころまで中国各地で海藻養殖の教育活動を行ないました。もともと中国では昆布は大量に食用とし、日本から大量に輸入しておりました。地元で養殖出来るならと各地で昆布養殖が盛んになり現在では中国は世界一の昆布養殖国になりました。

一方、わかめは昆布に比べて中国国民になじみは薄く、養殖も広がらず、海藻研究者の試験対象となる程度で、細々と引き継がれました。またそれらの種苗が野生化したものが生息地を広げていきました。現在では北は北朝鮮との国境沿岸から南は上海近隣の舟山群島まで天然(野生)のわかめが生育しております。その方法が中国式のわかめ養殖の原形になったものと思われます。

戦後、日本へ引き揚げてきた大槻氏が日本国内でもわかめ養殖の普及に尽力されますが、その話は次回に。

わかめ養殖の歴史(2)

さて前回は、ワカメ養殖の先駆者、大槻洋四郎さんが中国で戦後も、養殖指導をしていた所まで話をしました。

大槻さんが帰国したのは1948年です。それまでの間、三陸の漁師さんもワカメの養殖を行おうとしたのですが、大槻さんが特許を取ったらしく(戦争中でどうもはっきりしていなかった)、戦後も特許からみで養殖はあまり進展していませんでした。

しかし、そのうちにこの特許が無効であることが分かったこと、三陸の石巻地方に辻隆三さんなどの在地研究家的な人々も試験を重ねてきました。もう一方のワカメ養殖地の雄、鳴門地区でもワカメ養殖が何人かの研究家の努力で進歩してきました。国もワカメ養殖の推進に力を入れ、1960年代前半で数々の養殖実験が進められ、1960年後半にはほぼ養殖方法が確立しました。

三陸地区では波が荒いので、水平式養殖方法、鳴門地区では比較的水深が浅いので、筏式養殖方法が主流となりました。また、採苗方法も夏眠(ワカメは冬眠ではなく夏に眠るのです)方法に違いが見られ、三陸では日光量の少なくなる深場まで沈める方法(水深の深い所は水温も安定しているため)、鳴門では水深も浅く、水温変化が大きいので、陸上の水槽で培養し、黒い網などで日光を遮断しました。

それにより種縄も三陸では凹凸の激しく、ごみが付いてもかき落とせるシュロ縄が主力で、鳴門ではクレモナ糸が主となりました。そして、1965年、確立した養殖方法で大量に収穫されるようになったワカメの加工・保存方法として、リケンのわかめちゃん(湯通ししない塩蔵わかめ)が登場し、供給過多をうまく加工することによって、単なる海産物から国民的食品へと変貌していったのです。

わかめは日本古来の食べ物ですがその養殖が始まったのはかなり新しく、1938年頃と考えられます。

さて、大槻さんの後の中国はどうなったかと言いますと、養殖テストした昆布は渤海湾沿岸で養殖が急速に発展し、中国が世界一のコンブ養殖国になりましたが、ワカメのほうは、需要がなかったため、一部の研究者の研究対象となって、各地でテストされることにより分布を広げてゆきました。上海の沖、舟山群島に生息するワカメもそのようにしてひろがったのではないかなーと思います。

中国は今、世界一のワカメ養殖国になろうとしていますが、その基本には大槻さんの教えを伝えてきた、中国の多くの海藻研究者の粘りと努力があるのです。

わかめ養殖の種苗(1)

現在の三陸のわかめ養殖では、養殖あるいは天然のわかめの芽株から胞子を放出させ、夏の間、海の深い所(10mくらい)で眠らせていたものを使用します。鳴門では海の深さが足りないので、光および水温の管理が難しいので、陸上の水槽で種苗を育成します。韓国でも鳴門に似た方法で育苗します。中国では養殖用の8m程度のロープに直接種苗を付着させ、それを海中で育苗します。三陸ほど深くはなりませんが、形式的には三陸と中国は近いものです。これらの育苗方法の類似点の原因を探って見ると確かに水温や養殖場の水深などに適応させた方式といえますが、歴史をたどると、三陸と中国の養殖の最初の指導者が同じであることもひょっとすると、と思えてきます。

わかめ養殖の種苗(2)

1940年代の採苗方法については詳しく分かりませんが、養殖開始あたりから今までずっと主流を占めているのは成熟した芽株から直接採苗する方法です。大体海水温が16℃から18℃になると、成熟した(成熟してくると、芽株の色が濃い褐色になります)芽株を軽く陰干しした後、きれいな水温18℃くらいの海水に入れて採苗します。現在ではこの方法の他に無基質培養(フリーリビング)もあります。採苗した胞子を基質に付着させないで、一定条件(弱い光、23度くらいの海水、少し栄養を与える)で培養してやると、何年でも少しずつ胞子の数を増やしながら培養することが出来ます。この胞子(本当は配偶体と言い、♂と♀があります)を使って、採苗することができます。いつでも種糸を作ルことが出来ますので、芽落ちなどが大量に発生した場合には緊急の種作りにはこのフリーリビング種苗を用いて、種糸が作られるようになってきました。しかし、種苗の保存と種糸作りには大掛かりな施設が必要ですので、個人ではちょっと難しい。漁協単位や県の水産試験場などで行われているのがほとんどです。

わかめ養殖の種苗(3)

将来的な種苗は「冷凍網」でしょう。ノリなどではすでに行われているのですが、ノレン状の糸(ノリの場合は網)に胞子をつけてから、冷凍し、適した水温になった時に解凍して海に出すのです。ノリは最初に通常の採苗網、宮城県などでは12月ごろから冷凍していた採苗網を沖に出して、いわゆる2期作を行います。ワカメも南から北は北海道まで生息しているのですから、冷凍網で1年中収穫が出来るかもしれません。

わかめの養殖マメ知識 (筏)

昭和30年代、わかめの養殖が三陸や鳴門地区で軌道に乗ってきた頃、その他の都道府県でも水産試験場で盛んにわかめの養殖の研究が為されました。養殖方法の研究、種の研究、採算性の研究など。しかし、そのほとんどは成果を上げることが出来ずに試験で終わりました。何が失敗の要因だったかわかりますか?実は失敗の原因の第1位は水温変化でもなく、種の不整合でもありません。筏の設置が甘く、大風、時化(シケ)で流されてしまったという試験結果がもっとも多いのです。

わかめは内湾でも外洋でも生息、生育します。しかし、芽の頃(11月中旬)に比べ大きく生育した葉っぱの頃(2月から3月)では重さが何十倍にもなります。11月頃に筏をきれいに作っても、収穫の頃には重さに耐えかねる場合もあります。また、2月から3月というのは日本沿岸ではとても気象が厳しい季節です。たとえば三陸では朝から夕方までずっと穏やかな凪の日は月に2、3日しかありません。びゅーびゅー冷たい風が吹きすさび、海が大荒れでは、筏を補修に行くことも出来ません。

こういうことはやはり地元の漁師がもっとも強い。今では重りは2t近いコンクリートブロック。浮きは頑丈なものを両端に4個から5個と、台風がきても流されないような筏を組むのが三陸の漁師。狭い漁場をうまく筏を組むのが、鳴門の漁師。究極の機械化を進めるのが韓国の漁師です。